好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

相思樹(そうしじゅ)

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(↑ネットからパクった写真)
この木かな・・・相思樹・・・波の上ビーチに続く道端に咲いているが、定かじゃない。ネットでじっくり写真を見てからもう一度確かめに来るか。
♪~目に親し、相思樹並木~♪ 「相思樹の歌」、合唱部経験者ならいざ知らず、一般の人で知ってる人は少ないと思うが。師範女子部と一高女(いわゆる「ひめゆり部隊」)の皆さんが卒業式で歌う予定だった歌、が、別名「別れの曲(うた)」ともいわれ、軍事下では歌うことは禁じられかなわなかった。しかし、ひめゆりの皆さんは戦火を逃げまどい、死ぬ間際までこの歌を歌い続け励ましあっていたという。
作詞の太田博少尉(福島郡山)、作曲の東風平恵位(こちんだけいい)女子部教官(沖縄宮古島)はともにその沖縄戦で戦死してる。この二人とひめゆりとの深いかかわりは省略するとして、詞から想像するに、元の学び舎の近くには相思樹の並木があっただろうが、確かめに行ったが今はその痕跡すらない。それでずっと気になっていたが・・・どんな樹なのか。

えっつ、普天間自練でタクシー2種免許取ってる時、ブラ散歩したあの山に「護佐丸」の墓があったのか!あの、いつか登った知花城趾は「鬼大城(阿麻和利を倒した。のち百度踏揚(ももとふみあがり)を側室にした)」の居城でお墓もあったのか。あ~、あの首里末吉森にある「末吉宮」は尚泰久が建立し組踊の「執心鐘入」の舞台の寺だったのか。知れば知るほど、歴史が身近にあったことが後でわかってくる。
相思樹もそうだ・・・まだまだ知らないことが山ほど埋もれている。