好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

生涯

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梅雨のしとしと降る日が続いている。
お世話になってる知人(前教育委員長)の母の告別式に参列してきた。「おはよう!といつものように顔を出したら、母は起きてこなかった。」 泣くまいと思っていたのだろうが、参列者へのお礼・挨拶の言葉は号泣に変わった。
「不思議なことがあったんです。亡くなる前夜、父が仕事から帰って横になってる母の側に座ると母が父の手を握って離さなかった。父は「お前、おかしいんじゃないか」と笑った。家で飼ってるダックスフンドが母の側におとなしく寝ていた。血だらけだった。ケージから必死に抜け出してきていた。・・・」と。人や動物は、最期を察していたんだろうな。
いつもの朝の挨拶から始まる一日が、これから変わる。どうしたらいいのかと。

<月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり>(芭蕉奥の細道) どんな人でもいずれは、等しく迎える最期だ。<人は生かされてる>というのをあらためて感じる。