好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

夏のミステリー、七ツ墓

東京時代の20代の頃会社の同僚と二人でテントと寝袋を車に積んで「奥の細道紀行」なる4泊5日の旅行に出た。宮城野蒜(のびる)海岸、青森七戸海岸、秋田十和田湖、山形月山・・・懐かしい思い出。宮城で松尾芭蕉が「松島や ああ松島や  松島や」とその風景のあまりの美しさに絶句して、歌にならない歌を残した・・・と言われているが、これはまっかな作り話。
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もし芭蕉那覇を訪れていたら、「那覇や ああ那覇や」と絶句しただろうか。そう、昔の那覇は湾内に島が点在する松島のような風景だった。今では100%も想像もつかない。港としてはこんな難儀な環境はないが外敵からの侵入を考えるとこんな最適な湾はなかったのだろう。
 
イメージ 2あまりの不便さに島と島をつなぐ長さ1キロの「長虹堤(ちょうこうつつみ)」という石造りの海中道路があった。沖映通りから見栄橋に向かい見栄橋モノレール駅の裏道(写真の左側)がその「長虹堤」の面影の唯一残された通りだ。その通り沿いに岩山がまだわずかに残っている。十貫瀬(じっかんじ)だ。その岩山の瀬に10貫の金を忘れたが数年経って戻ってみたらそのままその十貫の金が残っていたというのが名前の由来だ。「十貫瀬前(じっかんじめぇー)の通り」は戦後は安酒場や女買いで有名だったのは誰でも知ってる。
その岩山には七つの墓があったという。「七ツ墓伝説」・・・毎夜飴玉を買いに来る女性、翌日になると置いていった金が白い紙に変わっているのを不思議に思った店主がある夜あとをつけて行った。女は墓に入っていったので覗いてみたら死んでる女のそばで赤ん坊が飴玉をしゃぶっていた・・・女の死んでも我が子を思う伝説だ。
そう言や、この岩山に「おれの家元(やーむとぅ)の墓があるよ」と言ってた同級生がいる。国場だったかな(笑)。
 
しかし、こんな昔話しや史跡を今さら知って、なんの役に立つのかねぇ。いやね、自分でもわからんのですよ。暑くて喉がかわいたからただ水を飲みたくなっただけ。