電話(LINE)がなった時、ちょうど
首里高の前にいたよ。洋子おばちゃんの卒業高だ。なぜか兄貴のいる
那覇高に対抗して(?)
首里高にしたという(笑)。
1958年、沖縄がはじめて甲子園に招かれた。
首里高校だ。5歳の時だから覚えてるわけないけど。
でも、沖縄の人がほとんど知っていることがある。
首里高ナインはもちろん外国へ行くわけだからパスポートとイエローカード(予防接種証明書)を持ってだろう。初戦福井
敦賀高に0-3で完封負けで帰国。ほかの高校ナインがするように彼らも思い出にと甲子園の土を持って帰った。ところが
那覇港の植物検疫で土は没収され港で破棄処分された。沖縄が「外国」だった象徴的な出来事だ。
のちにそれを知った
日本航空のステュアデスたちが「せめて甲子園の小石でも」と届けてくれた。その石で甲子園のダイアモンドを形どった記念碑が
首里高校の中庭にある。
いまや
高校野球では強豪といわれるようになった沖縄球児たち、「小石の碑」も今は昔だ。