好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

井の中の蛙

知れば知るほど琉球国にはおもしろい人物が多くいた、と書いても、内地の人は「井の中の蛙(かわず)だろう」と笑うかもしれない。じゃ、内地(江戸、明治)に影響を与えたと書けばちょっとは「へぇ~」と思ってくれるだろうか。例えばサツマイモ(薩摩芋)は琉球から薩摩(鹿児島)に持ち出されたものだというのは今じゃ誰もが知ってる。ペリーの黒船が浦賀に現れ坂本龍馬勝海舟などが激動の時を過ごしたのもよく知られているし、その時の通訳で活躍したジョン万次郎もよく知られている。
ペリー黒船は浦賀に行く前に琉球(今の泊港)に寄ってたんですよと言うと「えぇ~そうなんですか」という人は多い。みなさんジョン万次郎は知ってるが、その時すでに、琉球にも通訳者牧志朝忠という(天才)がいたんですよ。彼はその時鎖国中の日本に帰国できる手配がメドが立つまで琉球(今の豊見城翁長)に住まわせていたジョン万次郎の相手もしていた。
ちょっと、もう一人、程順則(ていじゅんそく=名護親方)を。
 
滝沢馬琴(江戸時代の小説家<南総里見八犬伝>は知ってる人も多い。彼の著書「弓張月」の中に、「台風」という言葉がある。それが「台風」という言葉のはじまりだけど、程順則の著「風信号」の一節の丸写し(盗作)だ。
程順則が中国から持ち帰り琉球語に翻訳した「六諭衍義(りくゆえんぎ)」は、徳川8代将軍吉宗の命で全国の「寺子屋」の道徳教科書になり、のち明治の教育方針とした「教育勅語(きょういくちょくご)」にまでつながってる。
 
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琉球が生んだ学者・程順則(名護親方)、久米村の「孔子廟」の敷地に(今の那覇市久米58号線商工会議所前)寺小屋「明倫堂」を開き琉球にも広めた。「孔子廟」も「明倫堂」も先の沖縄戦で消失したが、今は跡地には台湾の蒋介石から寄贈された孔子像が建ち、どちらもちょっと離れた場所(Reeのあるビル向かいの公園)に再建されてる。
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説明が概略しか書ききれない。一つ一つを書けば坂本龍馬、ジョン万次郎の物語になる。んっ?それこそ、井の中の蛙(かわず)か?(笑) ま、いいか、誰も気に留めてない。