好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

夢の跡

東日本大震災3・11から3年か。脆(もろ)いもんだねぇ、雑事に追われて当事者でない人間の記憶は薄れていく。
がれきの野っ原にアスファルト道路だけが続いてる異様な光景。兵(つわもの)どもが夢の跡、だ。
 
イメージ 1昨夜の夢の跡。「名城、知ってるか、沖縄にも「古都」があったこと。」、「えっつ、首里じゃないのか?」、「浦添(城址)だよ。」
三山のうち、中山(浦添城址)、北山(今帰仁城址)は今でも尋ねられるが、南山(島尻大里城址)は行ったことない。どこにあるかさえ定かでない(佐敷の馬天小の裏山の上だけど)。(だから?)沖縄史では欠かせない城なのに世界遺産の中にも入っていない。なんせ、尚巴志(しょうはし)が三山統一(1426年)を成したあと中山(浦添)王宮を首里に移した。その首里城増築のさい南山城の石垣が全てそこに運ばれたというから、城の跡形もない。
 
なんで佐敷村の地方豪族でしかなかった尚巴志にそんな力があったか?馬天・与那原という当時最高の港にめぐまれ、交易で鉄を購入、生産力(農具)や軍事力(武器)を増大させたからだ。尚巴志が王宮を首里に移さなければ今の那覇市も交易拠点の那覇港(実は港にするには難所中の難所だった)もなかった。
夢の跡、3・11のがれきの野っ原、どうなっていくのか。