好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

方言札

「方言札(ほうげんふだ)」というのがあったのを知ってるだろうか。学校で方言をつかったら罰として首から「方言札」をぶら下げられた。今の若い子たちはまさかと思うだろうが、ホント! 調べると、明治の終わり頃から大正、第二次世界大戦が終わった後の昭和中頃(1950年頃)まであった。だから今のおばあちゃんやおじいちゃんたちはよく知ってる。
当時は同じ地方なのに言葉(方言)があまりに違うため通じないということもあった。(今も多少あるけど-笑) その「標準語教育推進」は沖縄だけでなく、東北や九州地方に特に顕著だった。
 
イメージ 1ナカハラ~、Reeに送った「茨城名産、干しさつまいも」、マリちゃんに頼まれて康ちゃんと路子へ届けましたよ。路子のお店で沖縄の「黄金言葉(くがにくとば)」をゆんたくしているうちにそんな話しになった。
 
各地方には後世に残したい素晴らしい言葉がいくつも残っている。もちろんその地方の方言で。これを標準語に直すと微妙にニュアンスが違ってくるのは誰もが感じてることだ。
今でこそ、方言の良さが再認識され各地で「方言保存会」も活発だ。沖縄では<戦争中に言葉が通じず悲劇を生んだことも>あったようで、<本土への就職にも不可欠>ということもあって、当時の親の心境は複雑、<嘆きつつも、子供の標準語取得は望んでいた>(wikipedia)とある。
琉歌や古舞踊のセリフ(方言)・・・知れば知るほど驚くような内容だ。