好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

英会話

こんな記事が。<文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた。今春からは小学5、6年で英語が必修になった。>(朝日新聞) んんっ、なんかひっかかる。なんだろう? 私の周りには英会話に困らない人が名前を挙げただけでも・・・即7~8名は浮かぶ。英語を教壇で教えている人もいれば、通訳の仕事をしているのもいるし、それ以外にも海外に居住してる人もいるし、妹家族もバイリンガル(両方喋る)だ。私も、今はほとんど喋らないが、昔取ったきねづかで、普通会話程度には困らない。中学、高校、大学で英語を何年も勉強したのに、喋れない現実は何年も続いてきた。問題は中身だろう。小学から始めたら喋れるようになるとでも思っていたら、文科省も進歩なしだ。

上にあげた、困らない人たちはほとんどが学校を卒業し社会人となり海外に興味がありあるいは仕事で英語が不可欠になり・・・・さまざまな経験や環境の上で実践で身につけてきたのだと思う。必要は発明の母といったらよいか、必要でなければ別に喋れなくたってよいし、使わなければ自然と忘れていく。そんなことより、まともな日本語が廃(すた)れてきているのではないか、のほうが心配だ。<英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい(朝日新聞)>。
ペーソス、ユーモア、ブラック・ジョークを日本語で理解しないのに英語習得はあり得ない。
こんな記事も。<(引っ越してきた北海道・富良野の山中で)「電気がなかったら暮らせませんよ」と子供が口を尖(とが)らす。「そんなことないですよ」と父親が諭す。「夜になったらどうするの!」「夜になったら眠るんです」。(倉本聰さん脚本『北の国から』)> 美しい日本語ですね~。「英語が使える日本人」を育てるなら、試験問題に出て来るシェークスピアより、これくらいの会話が言える英語であってほしい。