好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

ここにも

イメージ 1

イメージ 2

東北高校、0-7で敗れたけど、お疲れさんでしたね。被災地に多くの笑顔が生まれた。

多くの外国人が日本を離れているけど、「私たちはここに残る」という外国人も。
故国の家族からは毎日のように「帰って来て」と叫ぶように電話がかかってくる。アキノさん(フィリピン)は「おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。私たちだけ帰国はできない」と。
リタさん(インドネシア)は病院で寝泊まりして働く。「病院では毎日、仕事の後、日本語を教えてもらうなど、みんな優しかった。日本が困っている今、少しでも力になりたい」
姫路赤十字病院で働くスワルティさん(インドネシア)「できれば(被災地に)行かせてほしい」と涙ながらに話す。「インドネシアが被災した時も多くの日本人が手伝ってくれた。小さい力だけれど、手伝わせてほしい」と。
彼女たちの献身的な姿勢は「国の誇り」(インドネシア政府)、「介護のヒロイン」(フィリピンのメディア)などと現地でも称賛の声が上がってる。