好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

散華の碑

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沖縄梅雨入りか。こんなに降るといよいよそれらしくなってきた。・・・こんな日はあの最南端の「荒崎海岸」はどんな顔をしてるだろう。・・・行ってみるか・・・2時間さぼる。(いっとくけど、売り上げは相変わらず絶好調ですよ)

「先生、ここでみんな一緒に死のうよ」 第一外科壕のひめゆり看護隊、解散命令が出たあと各小グループに分かれそれぞれ砲弾の中をさまよった(行動するのは真夜中だ)。その中の学徒11名と引率の平良教頭先生は荒崎海岸にたどり着いた。第一外科壕とは、あの有名な「ひめゆりの塔(第三外科壕)」のすぐ道向かいの裏手にあるが、訪れる人の姿はほとんどない。
以下は生き残った2人の学徒からの証言、(叔父、与並岳生の本より抜粋)
荒崎海岸にたどり着いた。この先はない、米軍艦隊で埋め尽くされた海だ。「みんなで歌おうよ」と<ふるさと>を歌った。みんな涙声だ。「お母さんに会いたいね」、「砲弾の降らない青空の下をもう一度歩きたいね」・・・。
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しばし雨があがった。とげとげの岩の道で3名のおばちゃんたちとすれ違った。「こんにちは、ごくろうさんです」。
雨降る荒崎海岸「ひめゆり学徒散華の碑」の前には枯れた花束が飾られていた。
<巌(いわ)かげに一すじの黒髪 乙女ごの自決の地なり 波もとどろに> (仲宗根政善)