好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

戦後70年

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黒い貴婦人(←お断り、自分で勝手に付けたネーミングです)「にっぽん丸」・・・こんなの見てると、戦争の記憶なんか、やっぱり忘れ去られていくんだろうな。

戦後70年(1945年から)という区切り、ここのところ戦争にまつわる番組が非常に多い。なにも沖縄戦だけの話ではない。つい先日のフィリピン・レイテ沖海戦で沈められた「戦艦武蔵」発見はその節目にしてはあまりにもタイミングがよかったし、今週の天皇・皇后のパラオ諸島(ペリリュー島)の訪問も偶然ではないだろう。

不意打ちの「ハワイ真珠湾攻撃」で喧嘩を売られたアメリカは「かたき討ち」を合言葉に、じわりじわり日本に迫ってきた。なんせ太平洋は広い。日本本土を攻めるには、まず日本が占領していた太平洋の島々をひとつひとつ潰してから近づいて行く必要があった。
ここ最近TV特番で見ただけでも、インドネシア北東ソロモン諸島(ガダルカナル島の戦い)、フィリピン東沖のパラオ諸島(ペリリュー島戦い)、フィリピン諸島内のレイテ沖海戦(戦艦武蔵沈没)、これで南方からの日本への石油の道を断って、硫黄島の戦い(クリントイーストウッド監督の映画にも)、サイパン・グアム島攻略、南からはいよいよ台湾かと思っていたところ、台湾をすっ飛ばしていきなり沖縄上陸(戦艦大和沈没、神風特攻隊激化)という・・・「じわりじわり」だった。どの戦い一つとっても「凄惨」をきわめたのは言うまでもない、が、本土上陸を1日でも引き延ばすための「捨て石」にされ、住民を巻き添えにした「沖縄戦」はその最たるもんだろう。沖縄終戦のおおよそ1ヵ月半後サイパン・テニアン島から飛び立ったB29による広島・長崎への原爆投下で終戦になった。
戦後70年・・・今70歳を超えた戦争体験者のみなさんが、生きてる間にその「悲惨さ」をどんなに語り引き継いでいくと言ったって、徐々に忘れ去られていくのは避けられない時の流れだと思う。

ちなみに写真↑「にっぽん丸」は2.2万トン、戦艦武蔵・大和は7万トン・・・つい大きさを想像する。