好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

幽霊の正体

懐かしい文章。
イメージ 1<ひとはなぜ追憶を語るのだろう。どの民族にも神話がるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ・・・。あのおぼろげな昔に人の心に忍び込み・・・ふっと目覚めることがある。わけもなく桑の葉に穴を開けてる蚕(かいこ)が、自分の咀嚼(そしゃく)するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげて見るようなものだ。>北杜夫の処女作「幽霊」の書き出し。

人はなぜ追憶を語るのだろう。なにげなく本棚をあさっていたら出てきたこの本、めくったら、つい、また読み始めた。ふと途中でやめた。まるで<首をもたげた蚕が何かに気がついた>ように。
本棚を見渡す。歳とともに読む本が変わってきた。古い本を読むと昔と全く違った本に思える。そういえばもう一つの幽霊もあった。出張先のデュッセルドルフ(独)の日航ホテル横の日本本屋でふと手にとった本は赤川次郎だった。処女作「幽霊列車」に出会ってからは赤川の本は飛行機の道中の友となった。読みあさった本、連城三紀彦阿刀田高・・・。忘却、<人は成長のために覚えていてはいけない何かを掩(おお)い隠すものらしい> 潜在意識の底に隠されていたものをふとさかのぼって探り出そうとする、その時はすでにその当時の感覚や心理は遠く去ってしまっている。難しいもんだ。ま、そういう無意識界をモチーフの小説は遠い過去から(フロイトなど)全世界中で書かれているから、別に特別なことじゃない。

過去を呼び起こす不思議ななつかしさ、心の神話、「幽霊」の正体だ。
たまにはこんな休日があってもいいか。