好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

下山

「もうこれ以上動けなかった」、エベレストから帰還時、途中に設営されてたキャンプ地にたどり着いたときの状態をそう語った三浦雄一郎さん。ヘリを使って無事帰還。その途中のキャンプ地がなければ死んでいたと。同じ頃、同じ山系のダウラギリ登山中の日本人女性(66)が亡くなった。同行の女性シェルパーの話しだと体調を崩し登頂をあきらめ下山途中に徐々に衰弱し、「最後は力尽きた」と。
映画や小説からのその場面などを想像するが、事実は想像など及びもつかないようだ。
 
イメージ 1で、ここで疲れたなどと言っては笑われそう。午前中の忙しさが嘘のように午後は全く人気がない。30度を超える猛暑のせいで、歩く人間様も午後は動くのをやめたのか、通りは空車のタクシーのみが行き違う。木陰で駐停車(ポート・ホテル前、旧不二家ホテル)・・・向こうから4台の空車、前に2台の空車が連なって追い越していく。こんな日は、流すだけ空虚な疲労だけが残る。
 
そう言えば、今日も午前中は病院が多かった・・大浜第一、那覇市立、真嘉比あらかき眼科、豊見城中央・・・みなさん、お大事に、病院からもどったら自宅でゆっくり静養するもよし・・・下山の過酷さがなくてよかった。
 
疲れて帰社、おっ、なんと昨日の成績表のトップに夜の配達人名城の名前が!走行距離240キロか。さっそく電話「どうした?」、「夜9時頃、国際通り若者4人組、北部の本部(もとぶ)まで乗せた」と。それはそれは、下山は海風がここち良かったろう(笑)。