好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

転校時の記憶

暦に雨水と。「あまみず」じゃない(笑われそう・・・クッ)、「うすい」と読む。雪が雨になり氷が水に変わる季節。なんか、今にも土を割って緑の芽が出てきそうな言葉。
 
イメージ 1タクシーの客をその場所のすぐ近くに送り届けた。
YS-11というプロペラ飛行機に一人乗せられ宮古から那覇へ。訳がわからなかった。敬ちゃんおじさんが車で迎えに来た。宮古にはないおおきな通りを通る(今の58号線)。夕方だったか、ボーリング場のネオンの煌(きら)びやかさに呆然とした記憶。連れて行かれた所が昇おじさん、和子おばさんの家。というかほんとに小さな一軒家。二畳ほどの部屋をあてがわれたが、それでも申し訳ないほどの小さな家。周囲は自給自足用と思われるいろんな野菜の植えられた畑々。小川にかかった今にも壊れそうな小さな丸太橋を渡り、すすきの生い茂る砂利道をてくてく歩いて、のちに中学・高校の6年間を一人で過ごすアパートを借りるまでの数ヶ月を、ここから転校先の中学校に通った。・・・20数年後東京から戻った時、和子おばさんの家を訪ねた。「あいや~、なつかしいね~、あの時一緒に布団を買いに行ったよね~、覚えてる~」と言われた。
 
首里の麓(ふもと)の松川地区・・・全く、当時の面影がない。あの小さな小川は整備され、それでもたびたび洪水でも起こったのか、大きな貯水池まで併設されている。周囲は隙間のないほど家やアパートが立ち並んでいる。あのちいさな家は・・どこだったのか?今は昇おじさんも和子おばさんも亡くなっていない。
余談だけど、メガネのともひでの叔母の家がすぐ近くだ。