好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

談志流

「落語とは人間の業(ごう)を肯定すること」。業(ごう)・・・欠点だらけの人間の生きざま、 悩み、 欲望、 本性、 邪心.、を認めること。例えばこうだ、<酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ>
イメージ 1ちょっと意外だったね、一夜明けた今日の各新聞コラムもほとんど彼、立川談志の死去についてのコメント。イメージは「毒舌、憎まれ口」、エレベーターに乗ってくる客に「上ですか?」と聞かれれば「横には行かねぇな」と口をへの字に曲げる。彼みたいな人間を嫌う人も多くいただろう。なのにだ。あの桂三枝がインタビューで涙を流すのを見て、やっぱり、こりゃなんかあると思った。
 
彼の落語に、寄席が終わっても感動のあまり会場に残り、熱演のなごりを求めてたかが座布団の写真を撮ったりするのもあったと(落語「鉄拐(てっかい)」の寄席)。また、「神が降りた」と語り草になってる高座も。4年前に都内で演じた「芝浜」。気になって、たっぷり1時間弱をY-tubeで観た。ん~っ、なぁ~るほど!
世の常識と信じられたものに真っ向から毒づく、かとおもいきや前座の若い落語家たちには謝礼にシワ一つないピン札をわざわざ銀行に行って用意する、落語界の異端児(協会は脱会)は、落語があるから生きてこられたと。
業(ごう)に従えば社会が成り立たない、必死に心の奥にしまおうとする。それを平気で言える談志さん、あなたは幸せな男だといったら「馬鹿いってんじゃねぇや。・・・」 ・・・(オトシどころ)を彼ならなんと言っただろう。