好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

平和ボケ

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歴史から見た「国家の衰亡」の兆し(きざし)というのがある。兆しとは、知らない間に、いつの間にか、慣らされて、当たり前とか常識とかに刷り込まれてくるウイルスだ。気がついたら(歴史を振り返ったら)、初めてそうだったのかと気づかされるウイルスだ。
文字より漫画が好まれそれがいつのまにか暴力残虐な内容と歯止めなく変化してもいつの間にか慣らされて当たり前になる。「そんなこと知ってるわよ」と自慢する。健康ブームも麻痺された異常事態だ。病院からの薬をビニール袋に詰め込んで、飲んでる薬やサプリメント、栄養ドリンクの数を競い、家に帰ってTVで毎日出てくる「新料理」に見入る。家庭料理は全てオリジナルなのにTVや料理家や雑誌のカッコイイ料理名の数を競う。(被災地の「生涯でもっともおいしいオニギリ」を思い出す)まっつ、ゴルフ練習場に車通勤する太ったおじさん、タバコをくわえながら栄養ドリンクを飲み、冗談で「健康ならもう死んでもいいよ」という平和ボケ。
適時、的確かつ適正にしかも迅速、スピーディに・・・、十分といえば不十分だが・・・何を言ってるかわからん日本語がはびこったら「国家の衰退」の兆しかもね。

でもね、考えたらどこまでなら想定外が許されるんだろうね。隕石が太平洋に落ちてきた時を想定すれば許されるんだろうか。自然の脅威を何度も経験し自然に畏怖の念をい抱いてきた日本だ。自然に逆らおうなんて無理は誰でもわかってるのに、想定外という言葉が許されないのも不思議だ。しかし、また、「なせば成る、成らぬは人の成さぬなり」(上杉鷹山(ヨウザン)という人もいるからなぁ。終わってからなら誰でもなんとでも言える。どっちにしても人間の作った原子力は世界的に見直しは必至だ。
100年前、ハレー彗星が地球に近づいた時は空気がなくなるといって空気を入れたタイヤチューブが買い占められた。ロシアのチェルノブイリ原発事故では捜査のため足を踏み入れた消防員4名が亡くなった。ウオッカ放射線に効果的といわれ、バカを言うんじゃないと現場に入ったものの、ウオッカを取りに戻った・・・んだと。(毎日新聞コラム「余禄」)
平和ボケウイルス・・・どこに隠れている。
(写真:被災地支援の自衛隊、缶詰食事)