好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

遠い記憶8.12

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震える文字で「(マリコへ)津慶 知代子 どうか仲良くがんばって ママをたすけて下さい パパは本当に残念だ きっと助かるまい ・・・本当に今迄は 幸せな人生だったと感謝している」
別の破れた紙切れには、「・・・スチュワーデスは冷せいだ」(「冷静」という漢字じゃない)
走り書きの「遺書」は妻や子供へ「頼んだぞ」「しっかり生きろ」がほとんどだった。
非番でたまたま搭乗していたキャビン・アテンダントの事故後のインタビュー。「怖いです。怖かったです。思いださせないでください」。彼女の、病院で意識をもどした時の一声「何名助かったんですか・・・たった、4名ですか・・・」。墜落直後は、あちこちに生存者がいた。「よし、ぼく頑張るぞ」という男の子の声も聞こえていた。

夏休みで女性や子供や孫が多く搭乗していた。日本中が終日TV放映に釘づけ。25年前。記憶も薄れてくる。ユウがよちよち歩き出した頃だったんだね。520名の書き切れない人生。
機長と副操縦士のやり取りが、のちにボイスレコーダーから明らかになった。
「アンコントロール(操縦不能)、(ダッチロールする機内で)、頑張るんだ・・・右だ、左だ、頭を上げろ、上げろ・・・だめかもわからんね・・・」「上げろ、あげろ・・・もうだめだ・・・」で途切れた。(管制室からは日本語での通信OKがでていた)

25年か。残された子供達は、「しっかり生きて」いるんだろうか。
(写真:遺族提供の機内の様子)