好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

語り部

イメージ 1
戦後70年、これまで黙していた広島、長崎の原爆被爆者の証言がここにきて多く語られてる。沖縄戦生き残りの「語り部」もそうだが、口を閉ざしていた月日の長さが70年ということだ。長い。語り伝えていかなければ、忘れ去られることの恐怖という、残された時間との戦いだ。子供が夢を見て眠れない、子供にあんな残酷な話しをしないでとクレームを付ける親も多いという。そんな中で、「語り部」も大変だ。

那覇は朝から結構な土砂降りの日曜日。しまった、ビデオキャプチャーは購入したが、AV3ピンコードが必要だ。この雨の中、・・・買いに行くか、今日、日曜日しかゆっくり作業できる時間はない。
よし、作業に入るか。VHSテープのクリーニングは終了してるから、パソコンへの取り込み(デジタル化)だ・・・試し試し、取り込めてるか確認を繰り返す。よっしゃ、OKだ。無事電車がレールに乗って走り出したようだ。あとは突然の地震で崖崩れや停電がなければ目的地までたどり着くだろう。取り込めさえすれば、あとはカットや分割・結合などの編集だ。ここまでくれば、USBやDVDに移し替えておくのは訳ない。確実に一歩一歩作業は進んでる実感。
過去の記録を残し伝える、「語り部」の作業は大変だ。