好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

夢の跡

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旧読谷(よみたん)飛行場跡。お客さんでもなければなかなかここまで来ることはない。思いがけない、那覇空港からペルー移民2世夫婦という里帰りのお客。お二人の車内の会話はスペイン語。近くには嘉手納(かでな)飛行場。そう、この読谷と嘉手納の二つの飛行場をまず制覇するために70年前米軍はここの海岸から上陸を開始した。あの住民集団自決があった「チビチリガマ」、住民の中にハワイ移民がいて住民を説得し一人も死者を出さなかった「シムクガマ」のある部落。

近くにあの勝連按司(あじ)阿麻和利(あまわり)のお墓があるはず。阿麻和利はこのすぐ近く嘉手納の屋良村の農家の生まれだ。屋良城を訪ねていたどこかのお殿様の床のみそぎに出された城女のててなし子として生まれた。幼いころその母を亡くし養父母に預けられたが、体の弱かった阿麻和利は、今でいう小学生の年の頃、この養父母から「食いぶちをへらす」ため比謝川上流の森林に捨てられた。詳細は省くが、なんと、ここから子供の阿麻和利は生き延び、流れ流れて東海岸の勝連にたどり着き、のち、かの琉球歴史上に名を残す勝連城主にまで成り上がった。

帰りすがらお墓を探したが、見つけられなかった。通りがかりのヤクルトおばさんにも聞いたが。生まれの屋良村屋良城址跡も寄りたかったが・・・今回はあきらめよう。実はあの三山統一で琉球王国(第一尚王統)を築いた尚巴志(しょうはし)の墓も近くにある。尚巴志といい、阿麻和利といい、なぜ琉球史に燦然と輝く英雄の墓が、こんな辺ぴな山奥にあるのか・・・理由も含めて、今は沖縄地元の人でも以外と知ってる人は少ない。
兵(つわもの)どもが夢の跡。