好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

言葉

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日本語って難しいねぇ、というか「言葉」そのものが難しいと言ったほうがいいか。ひと昔オウム真理教の「ああ言えば上祐」と言われた上祐史浩(ふみひろ)の話術には誰もが下を巻いたのを思いだす。
自衛権行使も限定的とか最低限のとか、なにをもって限定的というのか、最低限の最低とはどこか・・・みなさん「言葉」を駆使して喧々諤々。「言葉」は人間がつくった「道具」だ。道具が万能ってことはあり得ない、こんな曖昧な道具だからしょうがない。
コンクラーベ(ローマ教皇選挙)のコンクラーベの意味は「鍵のかかった」という意味。知ってるよね、あの決まったら合図でエントツから白い煙が出るというあの選挙。いつまでも(何年経っても)決まらないのに業を煮やした市民が決まるまで部屋から出られないように「鍵をかけた」というのが起源だ。食事の量も徐々に減らしていった。そうすりゃいやでも決まる。
TPPや集団的自衛権行使、TV討論を観てると、鍵を掛けたくなる。ははっ、ちょっとそれはかわいそうか。コンクラーベとは日本語では「根比べ」か(笑)。
 
しかし、でかい!「SAPPHIRE PRINCESS(サファイヤ・プリンセス)]、携帯画面に入りきらない。「英語しゃべりますか?」、「はい、でも、日本語もちょっと大丈夫」 その人が同乗の仲間に台湾語で通訳する。ふう~、こんなに「言葉」があっても、「最低限」は伝えられるが伝える内容はどうしても「限定的」だ。