好奇心okinawa’s blog

観光タクシーから見た沖縄

ノスタルジー(郷愁、懐古)

中央線中野駅を降りて北側の商店街へ向かうと当時できたばかりの中野サンプラザがそそり建っていた。目的は忘れたが東京にきた当初はよくここへ来た。その後もこの駅を通過するとなぜか吉田拓郎の「高円寺」の歌を思いだす。♪~高円寺じゃないよね~♪ ノスタルジ-とは郷愁、懐古のことだが、当時は東京からふる里沖縄を懐かしんでいたと思うが、今は沖縄から東京を懐かしく思う。
陸軍中野学校、知る人ぞ知る戦中の「陸軍情報部員育成」機関。いわゆるスパイ養成所だ。往年の映画ファンにとっては市川雷蔵の映画「陸軍中野学校」は強烈に記憶に残っているだろう。その養成所は今の中野サンプラザ界隈にあった。
 
イメージ 1小野田 寛郎(おのだ ひろお)死去(91歳)のニュース。昭和49年か・・・戦後30年経って、突如フィリピンの密林から日本兵が帰還したというニュースが流れ、日本国中が度肝を抜かれた。彼は陸軍中野学校出身の将校だ。トランジスタラジオで短波傍受できるよう改良した無線機で情報戦を継続していた。皇太子成婚、朝鮮戦争、ベトナム戦争、東京オリンピックなどの情報も知っていてそれを全て戦争継続中の出来事と結びつけていた。日本の競馬中継を唯一の娯楽にしていた。とっくに一般市民になっていた元上官の「命令解除、帰国命令」の軍命書でようやく任務を解かれ帰国した。
 
彼の生き様をどう思うかは人それぞれだろうが、帰国時の彼の表情、眼光に「忘れ去られようとした日本、日本人」の郷愁を感じた人もいるだろう。ノスタルジー、彼はあの30年の孤独な密林諜報戦をなんと振り返っていただろうか。